11.運命の日

※執筆日と投稿日にはズレがあります。

 

 

昨日、骨折した。

 

 

人生初の骨折である。
いま、右手は三角巾で吊られ、
指と肩周りは動くものの、
肘は固定され動かない。

 

 

痛みは、ロキソニンの効果もあり、
それほどないが、
折ったときの痛みは、
本当に驚くほどだった。

 

 

今でも折ってしまった現実が
嘘のように感じる。

 

 

 

車の中の忘れ物を取りに行こうとした。
50センチぐらいのブロック塀を超えると近道だ。

 

 


まさかそこで足を踏み外すとは。

 

 

 


動けない。
右肘から先が痛みと痺れで、
まったく動かせる気がしない。

 

 

 

前のめりに降下していくとき、
視界がゆっくりになった。
ぼきりという音がした。
とっさについた右手があらぬ方向へ歪んでいくのを見た。

 

 

 

小雨が、仰向けに倒れた頬に当たる。
痛みがすさまじい。
右手はどうなっているのか。
あまりにも見たくない気持ちと、
現状を把握せねばという生命力がせめぎ合う。

 

 


すぐに動く方の左手を動かし、
ポケットからスマホを出した。

 

 

 

利き手じゃないからもどかしい。
Xに電話する。

 

 

 

転んで腕が折れた。
救急車をよんで欲しい。

 

 

Xの悲鳴に近い声が聞こえる。

 

 

 

痛みは強くなるばかり。
すぐにXと私の両親がやってきた。
それから救急隊員がきて、
腕が動かせない中で、どうやって救急車に乗せるか話していた。

 

 


ようやく首を恐る恐る右へ向けた。

 

 

 


なんだこれは。
右肘の先にもうひとつの関節が増えてる。


たぶん、真っ青になっていたと思う。


ひとりが腕を、
あとの二人が脇の下と膝の下を支え、
ストレッチャーに乗せてくれた。

 

 

救急車がゆれるたび、激痛が走る。
幸い、近隣のリハビリに強い病院が受け入れてくれた。

 

 

 

病院ではいろいろな質問に答えたと思う。
持病はない。1年以内の身体的トラブルも。
コロナワクチンは未接種だと告げたが特段嫌な顔もされなかった。
救急車のなかでも同じ質問に答えた気がする。

 

 

 

名前の入った紙を手首にまかれたり、
肘のレントゲン撮影のあと、
先生がやってきた。

 

 

 

曲がっている腕を持ち上げた。
えっ、何するの、やめて。
ボキボキボキボキ!
いたたた!!!

 

 


ガチャンとハマった音がした。
増えた関節が減った。
無事、右手を腹の上におけるようになった。
痛みもまだかなりあるが、
大幅に減った。
助かった。

 


痛み止めの点滴。
針をさす血管がさしにくいものだったらしく、
先輩スタッフ的な人が交代して、
やっと入れられた。
後の手術のことも考え、
入れにくいサイズの器具を
使わなければならなかったことも
原因のようだった。

 

 


次はCT検査。
息を吸って止めてを4回ほどやっただろうか。

 

 


その後両親とともに説明を受けた。
脱臼骨折、靭帯断裂の大ケガです、と。
レントゲン写真には関節増えてたときの骨。

 

 


なるほど脱臼はこれか。
CT検査写真には、
なんとか骨という小さめの骨が
無数に砕けた様子が写っていた。

 

 

 


手術です。
ボルトを入れて固定します。
特殊な機械を取り寄せるので、
すぐには手術できなくて、火曜日になります。
◯◯という先生です。
7日から10日ほど入院です。
その後リハビリです。
全治3ヶ月。
車の運転は2ヶ月ぐらいは難しいでしょう。

 

 

 


手術のあとは、
仕事の内容にもよるが、
パソコン作業なら、
退院後すぐに復帰できそうだった。

 


採尿も片手にしてはうまくとれた。
小水をまきちらさないか不安だったが、
フンとふんばって、
尿を中断させ
コップを無事に取り出せたのだから、
自分で自分を褒めたい。

 

 


母が入院手術関係の書類10枚ほどを
書いてくれた。
父がペットボトルの水を買ってきてくれたが、
動揺のためか、
開けられない息子に気が付かない様子だ。

 

 

なんとか痛む右手でボトルをおさえ、
左手でねじって開けた。少し自信になった。

 

 

 

父から落としていた眼鏡を受け取り、
かけると視界が良くなったことで、
また少し自信を回復したと同時に、
視界が原因で不安になっていたことに気がついた。

 

 

 

整形外科の入院病棟に空きがなく、
泌尿器の方へ。
六人部屋に自分含めて4人がいた。

 

 


談話室があり、そこでXに電話する。
現状を報告した。
病院名を聞かれて、天丼屋の近くと伝えたら、
分かったようだった。

 

 

 


Xは今回のことで、ますます自立しなければ、
と感じたようだ。
この手のことが起こると焦って本質を見失いがちなので、
念の為釘をさしたが、
2年前の入院のときとは違う。
なんだか、今回は大丈夫な気がした。

 

 


入院食の夕食はおにぎりと煮魚。
サラダも左手で
フォークを使い食べられた。
ぅまい。

 

 

2年前のK病院とはぜんぜんちがう。
まずおにぎりの米がもちもち。
ボソボソとして味気なかった白米もどきのあの病院への恨みは忘れない。

 

 


それに担当スタッフさんの笑顔が癒やされる。
夕食時には交代でもう帰られてしまったが、
自分のベッドに担当として記されてる名前が
その人だったから、
これは当たりだと感じる。

 

 

 

だが、そんなことはどうでもいい。
この日起こったことのうち、
最も重要なのはこのあとおきた。

 


Xとのラインのやり取りだ。

 


母が入院書類を書いているときに、
私は、ボソリと、
Xが気にしすぎていないかが1番心配と漏らしてしまっていた。

 


それを両親は汲み取ろうとしてくれたようだった。
Xから聞いたところによると、
父はXに対し、
気に病んでも仕方ないというようなことを
慰めのつもりで言ったらしい。
しかし、Xはそれが気に障ったらしく、
今はそんなに気に病んでませんと
強く言い返したらしい。

 

 

また、優しく声をかけてくれた母に、
また遠慮せず下に降りてきてと言われたようで、
それにも、
父に言い返してしまいそうになるから、
行けないと断れたらしい。

 

 

 

母はその時、父も動揺していると
説明したらしい。
それは正しい説明だと思う。

 

 

 

Xとしてはエンパスがあり、
本当は、母にもダメージを受ける
というのもあるのだが、
そこは敢えて言わずにおくことができたらしい。

 

 


Xの本心としては、
なぜ間に入ってくれないのかと
私に対して怒りがある。

 

 

 

そのことについて、
ラインのやり取りが続いた。

 

 


親に対しては、
私も確かに至らないところがある。
Xの特殊さを伝えない限り、
真の意味で間に入ったことにならない。
だが、Xの特殊さを伝えるということは、
働けず同居になっているXへの、
風当たりをかえって強める。

 

 

 

つまり、敏感さを精神論で直せという、
X本人が自分を追い詰めるのに使ってしまっている悪い論理を、
私の親にも使わせてしまう。

 

 


追い詰められるのは結局Xだ。

 

 

 

言い訳かもしれない。
親にもXのエンパスなど、
見えない世界を、噛み砕いて、
粘り強く伝えなければいけなかったのかもしれない。

 

 

 

このジレンマが壁になっている。
そこまでやらなかったら、間に入ったことにならない。

 

 

 


だが、私は悩んでいた。
うちの両親は3次元的価値観にまみれている。
本当はXと同居させていいような人ではない。
テレビを見て、かわいそうといいながら、災害支援の募金をしぶる。
平気で「生活保護のくせに」と、誰かを罵ることさえある母。

 

 

 

こういう人は現状変更を恐れる。
なにかがおきたとき、まず他人を変えようとする。
つまり、Xにも精神的なふんばりだけではどうにもならなくても、
それを強要する。

 

 

 

私はそれが怖い。
Xが自分を責める材料を他人に増やされるのは我慢ならない。

 

 


でも、Xはラインしてきた。

 

 

「大きなところから考えれば(間に入ることは)できる」と。

 

 

つまり、大目的があれば、
親との関係にも道は開かれると。


その大きなところを私は以下のように説明した。

 

 

大きなところとして、
弱者の現実をXに観てもらうことのほうが、
意味があるような気がしている。
どうにもならない他人のことではなく、
どうにかできるX自身のことに
気がついてもらう意味がある。
そのための悪い見本なのではないかと感じている。

ツインフレームにもできないことがある。
本当に期待すべき人は別にいるので、
そこに向かう必要があると。

 

 

ここにも、何らかの反論があるのではと、
思っていたが、
Xからはなるほどね、と返ってきた。


まだツインフレームに、
成長変化して助けてもらおうというのは、
また今回(骨折)のようなことを引き起こすだけだ、
と感じているのだろう。

 

 


もうツインフレームに甘えられない。
今回のことでそれをかなり厳しく自覚したようだ。

 

 

 

うちの両親にダメージを受けるのは、
Xがエンパスである以上避けられない。

 

 

 


なんとかしたいのなら、
自己不信に終止符を打ち、
ここまで頑張ってもまだまだの私や、
私の両親のような未成熟な魂を置き去りにしてでも、
Xが自らの求めるものを求めることである。

 

 


それは今までのような
見つけた短所をしらみつぶしに
矯正するような自罰的なものとは、
明らかに違う。

 

 


成熟したYとのツインレイ的充足こそが、
すべての「大きなところ」である。

 

 

 

そのために、
未熟な仲間にはもう甘えないと、
ほんとうの完熟果実の幸福を求める勇気こそが、
いまXに試されていると、
感じている。

 

 

実は、
車の中にあって
取りに行こうとしたものはXの水筒である。

 

 


前日のドライブで、
車中に忘れたものだ。

 

 

 

それを今日のドライブでも使いたいと言われ、
取りに行こうとした矢先の骨折である。

 

 

 

少なくとも外に出る助けをするのは
もう違うのだと天に言われている気がする。

 

 

 

実際、しばらく運転できない。
つらいとは思うが、
Xはもうひとりで家の外に出るべきなのだ。

 

 

 


実際、徒歩数秒の歯医者には、
一人で行けているのだ。

 

 

 

補助輪を外す。

 

 

そんな言葉が思い浮かんだ。


冥王星水瓶座に入ったらしい。
いよいよ、時代がかわる。


あと少し。
ツインフレームとして、ラストスパート。
そう感じている。