50.ツインフレーム

いよいよ、
最後の手記である。

 

 

 

ここで自分のことを記し、
ツインフレーム理解への一例として終わろうと思う。

 

 

 

 

それ以後は、新手記を
別の場所で綴り、もっと客観的に、
掘り下げた知識を、共有できれば、
しあわせである。

 

 

 

 


私は、
なぜか、
子供の頃から、
自分が仕える主人のような人を探していた。

 

 

 

 

その背景には、
妙な直感があったり、
学力は高かったりしたものの、
私のそれを利用して楽をしたがっている母親に、
ゾッとする毎日を過ごしてきたこともあるだろう。

 

 

 

 

ひねくれた子供かもしれないが、
下手に才能なんて持つものじゃないなと、
本当に思っていた。

 

 

 

 

学校社会では嫉妬やいじめも多数経験することになった。

 

 

 

 

心理的負担から、成績が下がることもある。
それでも平均よりは高いのだが、
あまり学校に通えずに育ち、平均より学力の低い母親に冷遇されるのだから、
たまらない。

 

 

 


高校3年を迎える頃には、
すっかり学習意欲を失い、
ほとんどが付属の大学に進学する中、ドロップアウト

 

 

 


これから役立つ新しい技能だけは確保したいと、
専門学校でコンピューターについて学び、
その後、フリーターを経てなんとか就職し生活していた。

 

 

 


そんな日々の中で、どこかに人間性がまともで、
自分の力を欲してくれる人がいないだろうかと、
望んでいた。
しかし、社会の中に、そういう人は見つけられず、
月日が過ぎていく。

 

 


そのまま生活できれば、
それはそれで無難で良かったのかもしれないが、
うつ、転職、失恋、急性アルコール中毒と、
順調に試練をこなすことになるのだから、
運命というのはわからないものだ。

 

 

 

 

そうしてやっと出会えたのがXであった。

 

 

 

 

たしかに、まともな人間性の人に
仕えたいと漠然と思っていた。
かといって、まさかこれほど、
身命を賭して仕えることになるとは、
まったく夢にも思わなかった。

 

 

 

 

そして、入籍。
一般的夫婦の一般的意見の相違。

 

 

 

それ自体は、どこにでも起こることなのに、
なんだか程度が違うような気がする・・・。

 

 

 


どうにも激しすぎる。

 

 

 


夫婦げんかしたら、
ひどい話かもしれないが、
実家に帰らせていただきます程度では済まない。

 

 

 


Xは命を絶とうとする。
いやいや、そこまでするような出来事は、
何もなかったでしょうに...!

 

 

 


よくある意見の相違をときほぐしたかっただけで、
命のやり取りをしたかったわけじゃない。

 

 

 

 


いまにして思えば、
女性性の暴走を刺激してしまっていて、
自分が地雷を踏んでいたとわかる。

 

 

 

 


やがてXがさらなる茨の道を歩んだのは、
ここまで記してきた通り。

 

 

 


そうなると、
はからずも徹底的に仕えるようになったのだから、
ある意味、本望なのかもしれない。

 

 

 

 


しかし、苦しんでいるXを見るのは、
私自身も耐えがたい苦しみであった。

 

 

 

 


そんなときに、
Xにツインレイの可能性が出てきて、
自分は、それをサポートするツインフレームに
当てはまりそうだとなったとき、
妙に納得した。

 

 

 

 

 

ネット上でツインフレームについて調べてみた。

 

 

 


自分としては当たり前のことが書かれていて、
多くの他人はそうではないらしいということの方に、
驚くぐらいだ。

 

 

 


これはわかってもらいにくい感覚かもしれないが、

 

 

 

「楽じゃないけど、やりきる」

 

 

 


その思いだけが、
シンプルに強く自分の内側で、
こだまするように存在する。

 

 

 


今もその気持ちは変わらない。

 

 

 


だけど、
近頃になって、

 

 

 


ようやく送り出したあとのことも
考えられるようになってきた。

 

 

 

 

それは、Xの体調が回復傾向にあったり、
自立のために自分自身を表現できつつあったり、
良い人間関係が一部構築できつつあるなど、
XのレベルMAXの試練は終わったと思えるようないくつかの兆候が
あったからというのもある。

 

 

 


Xは、最近、夜、
寝ている私の部屋の方向に手を合わせて、
感謝して涙を流しているという。

 

 

 


じぶんの成長の試練に、
巻き込んでしまったという罪悪感もあるのだろう。

 

 

 


しあわせになってほしいという。

 

 

 

私は、Xに貢献する以外のしあわせは、
なにひとついらないとすら思うこともあった。
それもたしかだ。

 

 

 

だけど、いまは、
それ以外も含めてしあわせに
なってしまおうと思っている。

 

 

 


別にXと過ごす今という日々も、
しあわせではあるのだが。

 

 

 

 

それでもXを送り出したあとの、
新しいしあわせの形は、
もう少し楽なものでもいいんじゃないか
最近は思っている。

 

 

 

 

ここまで読んでくださった方の中にも、
いろいろな立場の方がいらっしゃるだろう。

 

 

 

まさしく、試練の道を歩むツインレイ女性かもしれないし、
それをサポートするツインフレームかもしれない。
はたまた、ツインレイ男性という方もいるだろう。
偽ツイン経験者、、、というのはあまりいらっしゃらないかもしれないが。

 

 

 

 

いずれにしても、
一人ひとりの人生の主役は、
他人に代役ができるものではない。

 

 

 

そして簡単ではない人生ドラマに挑んでいる点で、
上記の人々とそうでない人の間には、
ほんの少し差があるように思う。

 

 

 

そういった方々に、
自分自身の目的意識を、
流れ落ちる油のごとく、
なるべく途切れさせないよう、
ひたすすんでほしいとおもって記してきた。

 

 

 

私とXとYの話は一例に過ぎず、
直接みなさんにすべて当てはまるわけではない。
しかし、それでもかなり役に立つ実例を記した手記になったのではないかと、
ここまで書き終えて安堵している私がいる。

 

 

 

すぐに別の場所で別の執筆を始める予定だが、
このテキストが、末永く役立つことを願っている。

49.刺激を求める過激さと向き合う

今回の話は、
Yの正体を知りたがっている人には、
重要なヒントになるように思う。

 

 

 

 

ただ、そこに意味はあまりない。
なにしろ、証拠のない話だ。

 

 

 

もし、あなたが、

 

 

 

Yさんの条件に当てはまる有名な人って、
このひとかしら?

 

 

 

などと思っても、
心に留めておいてほしいと思う。

 

 

 

当たっていても、外れていても、
私には、それを肯定することも否定することもできず、
ただ名前を出された人が迷惑を受けるだけなのである。

 

 

 

 

以上が前置きである。

 

 

 

それと、今日の話もXの話であり、
ツインレイ女性全てに当てはまるわけではない。
そのあたりも踏まえたうえで読んでほしい。

 

 

 

 

 

なぜ私の両親のような人が現れて、
なかなか消えてくれないのか。

 

 

 

 

Xの重要な疑問の一つである。

 

 

 

 

近ごろ、そこにも少しリアルな仮説が生まれてきた。

 

 

 

 

「刺激説」である。

 

 

 

 

よく不安になるXに対し、
わたしは未来が明るくなる材料を提示するようにしている。

 

 

 

それは運命論も含めてである。
なにしろ、現実だけだと、希望が持てるような材料というのは、
いくらでもXが否定できてしまい、
かえってドツボにはまるから。

 

 

 

そんなときにも西洋占星術は使い勝手がいい。

 

 

 

 

そこに記された象意は、
運命の概要が見える化されたものであるからだ。
しかも、証拠がないので、否定しようもない。
それでも、希望が得られるのだから、
まったく占いとは不思議な力を持つものである。

 

 

 

 

そこで、星を見て驚くのは、
Xに記された「究極」傾向である。

 

 

 

 

その日も不安軽減のため、
将来の材料を語るが、
それに対しXは言う。

 

 

 

 

「そんな楽になったら退屈になっちゃわないかな・・・?」

 

 

 

 

全く、耳を疑う発言である。

 

 

 

じゃあ、あなたは退屈しのぎにあれだけの経験をしてきたのかね?

 

 

 

 

あらゆる艱難辛苦を味わい、
自ら命を立つ人もいるというベンゾジアゼピン中毒を乗り越え、
断薬後も想像を絶する離脱症状を乗り越え、
あげくパニック発作までおこし、
家も失い、夫は仕事を失い、ギリギリの貧困と、
体調不良を乗り越えた。

 

 

 

それでも、平和だけでは物足りないというのか・・・?

 

 

 

 

これには、X自身ですら、
「そんなにまで刺激を欲しがる自分が怖い」
と、語っていた。

 

 

 

ただ、星回りを見れば、
納得できる話ではある。

 

 

 

究極の刺激がないと、
生きている実感が持ちづらい◯◯星が効いた星回り。

 

 

 

 

「その思考が、刺激としてのうちの両親を引き寄せたのでは?」

 

 

 

そう考えた私は、
この仮説をしばらく前に提示していた。

 

 

 

Xもようやくそれに納得し始めたようだった。

 

 

 

自分が刺激を求めてしまったのだと。

 

 

 

しかし、この可能性を考えることは、
それを手放すために重要なステップであると、
私は考える。

 

 

 

 

見えれば気づく、
気づけば動く、
動けば変わる、
変われば見える。

 

 

 

 

自分の刺激志向が見えていなければ、
それを改善しようともできないものである。

 

 

 

 

また、見えてきてしまえば、
それはもうスリルでもなんでもない。

 

 

 

実際のところ、
Xはもう、刺激としてのうちの両親に飽きてきていると感じる。

 

 

 

 

だから、この刺激説に気がつくことができた。
Xは「ツマラナイもの」に敏感である。

 

 

 

 

それまでは、
この外出もなかなかできない退屈な療養生活のなかで、
刺激を欲して、うちの両親の残念さを引き出していた。

 

 

 

しかしながら、
昨今は自己表現を含め、外に目を向け始めた。

 

 

 

そうなると、そっちのほうが、
変化のある新鮮な刺激があるのだ。

 

 

 

うちの両親の残念さは、
ショックはあるものの、
得てして、毎度同じ「古臭いノンデリショック」なのである。

 

 

 

 

もはやそんなものを喜んでいる場合ではない。

 

 

 

 

世の中の変化は早い。

 

 

 

その変化すら、刺激として愉しめばいいのだ。

 

 

 

これに気がついたXは、
きっとまた1段階楽になるだろう。

 

 

 

古臭いノンデリショックよりも、
新鮮な外の刺激を求めていってくれると、
より未来が開かれてくる。

 

 

 

なにより、本人がそうした新鮮な刺激を求め始めてくれたことが、
うれしいことである。

 

 

 

 

古臭いが、無いよりはマシな刺激など、
もはやいらないのだ。

 

 

 

 

そうは言っても、
星回り的には、そっちに戻っていってしまう可能性も大である。
まだまだ予断は許さないのかもしれない。

 

 

 

 

私としては、
いい人であり、悪い人でもあるYがくれる刺激が、
Xにとって一番ちょうどよいのだろうな、と思っている。

 

 

 

 

はやく出会えるといいのだが。

 

48.この家を出る理由

うちの両親を嫌ってしまうのは、
直さなければいけないと、

 

 

 

Xはやはりそこに囚われてしまっている。

 

 

 

 

それに関して、話したことが、
この手記を読んでくれている方に役立ちそうなので、記録しておく。

 

 

 

 

その前に、
いちど偽ツインと思しきW氏について話しておく。

 

 

 

 

W氏に霊感があることは、
すでに記したかと思う。

 

 

 

 

その驚き方について、2パターンあったと、
Xは言う。

 

 

 

 

「うわぁあああ!」と大声で驚いてくるときと、
「!!!!」みたいに無言でこわばり、
驚愕の表情を見せているときらしい。

 

 

 

 

大声のときは、
そのあと怒り出すらしい。

 

 

 

「(生きている)人間のふりしてんじゃねーよ!」と。

 

 

 

 

落ち武者や兵隊などの明らかにそれとわかるときは、
気づいていると知られないために、
無言になってしまうのだろうか。

 

 

 

 

いずれにしても、
明らかにそこにいないはずの異質なものには驚く。

 

 

 

 

Xに関しても、
純粋な彼女にしてみれば、
うちの両親のような他責的な存在は、
そこにいないはずの異質なものに映っているようだ。

 

 

 

 

そう考えたとき、
W氏がそこにいないはずのものに驚き、
怒りだすようなことが、Xにも起きているのではと考えた。

 

 

 

「もしかして嫌っているんじゃなくて、
びっくりして怒り出しているんじゃない?」

 

 

 

そう指摘してみた。

 

 

 

すると、ハッとした表情で、

 

 

 

 

「そうかも! 嫌ってるんじゃなくて、
驚いて怒ってるんだ!」

 

 

 

私にしてみれば、
その残念な両親に育てられてきたので、
それが異質なものだと感じ取りにくいところがある。

 

 

 

でも、近ごろは、
Xのおかげか、やはり弱すぎる毒親レベルだなと、
感じざるを得ない。
(だからといって、あんまり怖いとは感じないのだけれども)

 

 

 

 

Xにしてみれば、やはり、
私の両親のようなあまりにも他責思考の人というのは、
びっくりするらしい。

 

 

 

驚かされると怒りが湧くのは、
XやW氏だけではない。

 

 

 

その怒りを、
「嫌っている」と思い込んでしまったのだ。

 

 

 

驚きの二次感情としての怒り、ただそれだけなのだ。

 

 

 

 

だとしたら、
Xの抱えた
「自分がこの家を出ていかないようにしてるんじゃないか」という、
不安要素にも反駁できる。

 

 

 

 

Xもそれはわかっている。
「だとしたら、毎回ビックリさせられる人とは離れてもいいよね???」

 

 

 

 

話は変わるが、この日、
なんと、さっそく、Xの個人誌を買った人から、
感想メールを頂いたそうだ。

 

 

 

まだ売り始めて3日だ。

 

 

 

たしかに魅力的な本だし、
値段も手頃で買い求めやすい。

 

 

 

それでも、売れてすぐに、
感想のメールまで届いたことに、私ですら少し驚いている。

 

 

 

 

自分自身を表現し始めたら、
トントン拍子というのだから、
伝説の通りっぽくて本当に驚く。

 

 

 

しかし、Xはこの家にいては、
エンパスダメージで落ち着かず、
創作活動に支障をきたす。

 

 

 

 

だから、この家を出ていいはず。
なのに、自分がこの家を出ないで、
ああいう人たちを大丈夫になるように、
修行しようとしているんじゃないか。
それがXの抱える不安だった。

 

 

 

家を出ていい、その理由を、
しっかりと構築する必要があった。

 

 

 

また、Xは、
この家を出たら、ストレスが無くなって、
創作できないんじゃないかとも言っていた。

 

 

 

 

「それはこの間も言ったけど、孤独というストレスがあるから大丈夫」

 

 

 

 

「あ、そっか」

 

 

 

 

「それにYが現れたら、彼が孤独を感じさせないうえに、
必要な範囲の適度なストレスを、

必要なタイミングで与えてくれるよ」

 

 

 

「そんな都合の良い存在がいるの??」

 

 

 

 

「(都市)伝説の通りなら、そうだね。
しかも、Xちゃんがひとりでいたいときは、
ちゃんとひとりにしてくれる」

 

 

 

「えー!」(嬉しそう)

 

 

 

 

「でもそれって、ここにいても、
ストレスありながら創作できてるよね」

 

 

 

 

「だけど、
それだと、時間的主導権がない」

 

 

 

 

「どういうこと?」

 

 

 

 

「エンパスダメージによって、
創作できる時間や、その準備の時間を、奪われている。
むこうの都合によって、スケジュール変更を余儀なくされ、
結果的に創作の時間が不規則になる」

 

 


「エンパスでHSPのひとは、変化に弱いわけでしょ。
だから、相手の都合に振り回されるのは、
時間的主導権がない、ということになる

 

 

 

 

「そっか」

 

 

 

 

「その点、Y氏は、Xちゃんのことを察していて、
時間的主導権をくれることになるはず」

 

 

 

「しゅごい」

 

 

 

 

「なので、時間的主導権がないこの家ではなく、
さっさと出ていって、自分の時間を主体的に過ごしたほうがいい」

 

 

 

 

「そんな贅沢なこと許されるのかな」

 

 

 

 

「許される許されないと言うより、それはもはや、
創作者としての責任だと思う」

 

 

 

「自分の時間を創作者としての性質に使う。
その時間を誰にも奪わせない。
そういうことがすごく大事な責任の一つだと思うよ」

 

 

 

 

「でも、自分ひとりで過ごすようになったら、
家事をやったり、ヨガとかストレッチもしたいし、
おちつく時間とかもほしいから、ちゃんとできるか不安」

 

 

 

 

「落ち着く時間ってのは、いわゆる『禅』だと思うよ。
『禅』は、家事をしながらでもできる。
料理すると創作が捗るっていう人の話、きいたことあるよね。
檀一雄とか? 料理も『禅』になる」

 

 

 

「そっか。なるほどね。
たしかに、できればもっと料理したいから、
この家を出たほうが台所も自由に使える」

 

 

 

 

「そうそう」

 

 

 

 

「ありがとう、色々教えてくれて」

 

 

 

 

「どう板橋区

 

 

 

 

時折、なんで自分でもこんな簡単に答えられるのか、
不思議になることがある。

 

 

 

 

そして、誰かに言わされているような感覚すらある。

 

 

 

でも、そんなこともどうでもいいのかもしれない。

 

 

 

 

私にとっては、Xがらしさを取り戻し、
取り戻した自分の性質に適した、
新しい生活環境を手に入れてほしいだけである。

47.エネルギーの解明はまだ始まったばかり

私は昔から、
Xのことになると、
力が湧いてくることを不思議に思っていた。

 

 

 

 

例えば、私は、
お店で物を買う行為が苦手だった。
対人恐怖的なところがあり、
学生時代には、学食ですら友人に頼むこともあったほどだ。

 

 

 

 

(近頃、去年辺りからは全然ないのだが・・・)

 

 

 

 

ところが、そんな恐怖も、
Xのためとなると、どこかへ消え失せる。
元気が湧いてくる。お店でモノが簡単に買える。

 

 

 

 

むずかしい言葉を使って申し訳ないが、
顕在意識からではない、
潜在意識からのエネルギーなのだと思う。

 

 

 

 

そして、男性原理エネルギーの暴走である、
空回りについても、自分の顕在意識とは違うところで、
そのエネルギーに翻弄されてきたと感じている。

 

 

 

 

Xに起こってきた女性原理エネルギーの暴走もまた、
不可思議なものではある。

 

 

 

 

占星術で言えば、
男性原理エネルギーは火星であり、
女性原理エネルギーは金星である。

 

 

 

 

ようするに、感覚と言語で、
いちおうそれなりに理解できているのは、
たった2つの星に過ぎない。

 

 

 

 

占星術の主要天体は10である。

 

 

 

 

そのうち、古来から発見されていた土星までで絞っても、
7つである。
(太陽、月、水星、金星、火星、木星土星

 

 

 

 

それでもわずか7分の2しか、かじっていないことになる。

 

 

 

 

Xについては、
もうひとつ未解明エネルギーによる怪現象が起きている。

 

 

 

 

それが「克服グセ・成長欲求」である。

 

 

 

 

 

Xには、幼少期にキリスト教体験があり、
そこでは、子供でありながら、
かなりの真面目なエリート信者だったという逸話がある。

 

 

 

 

そこで語られる「キリスト教の中でのキリスト」、
もっと言えば「日本に伝来した改変された聖書の中のキリスト」像に、
かなり影響されてしまっていたようなのである。

 

 

 

 

もしかしたら、
重要な話かもしれないので、
書いておくが、

 

 

 

 

イエス・キリストという人物と、
キリスト教という文脈の中で語られるキリストには、
多くの乖離があると、私は信じている。

 

 

 

 

ようするに、必要以上に「聖者像」を押し付けられたものが、
キリスト教の中のキリスト、だと思っている。

 

 

 

 

ところが、Xは、
その聖者像になろうと、
自分を前進させ続けている。

 

 

 

 

周りの誰もが、それをXに求めていないにも関わらず。

 

 

 

 

Xの星回りでいうと、
これはどうも木星のように思える。

 

 

 

 

木星には良いイデオロギーの伝播という側面がある。
そのため、宗教に関することを鑑定するときにも使う。

 

 

 

 

X(およびY)の木星は、ルーズなハードアスペクトを持ち、
過度に活用されることがある。
また特異点との合もある。

 

 

 

 

そういえば、Yもまた、
宗教とは無関係ではない人生になってきていたようだ。
彼の縁者に新興宗教の関係者がいることまでわかっている。

 

 

 

 

私自身は、木星がノーアスペクトであり、
イデオロギーへの執着があまりない。
アンチイデオロギーとすら言えるレベルだ。
だから、木星エネルギーが強く出る感覚がわからないところがある。

 

 

 

 

もしかしたら、宗教とは、
自分らしさから一旦離れる修行の場
という面があるのかもしれない。

 

 

 

 

そして、
殉教生活を通じて感じた矛盾点から、
本当の自分に立ち返るヒントが貰えるだけなのかもしれない。

 

 

 

 

そうした自分から離れる修行のエネルギーが木星エネルギーで、
それを元に戻そうとするのが、土星エネルギーなのかもしれない。

 

 

 

 

みんなないものねだりがある。
自分にふさわしくないかもしれないのに、
憧れているものを目指そうとする。

 

 

 

いま、トランシットの土星が、
Xの星回りに影響を与えている。
すなわち、
「憧れを捨て、現実を見て、自らのらしさに還れ」
というメッセージとも読めるのだ。

 

 

 

 

ただ、こうした考えも、ただの仮説に過ぎないものであり、
エネルギーの解明はまだ始まったばかりなのだと、私は感じている。

46.鳥かごの30年

ツインレイ女性には経済的自立というテーマが、
襲い来るという。

 

 

 

そんな話を、
ここを読まれている方も、
耳にしたことが、いや、ネット上で目にしたことがあるかもしれない。

 

 

 

 

ご多分にもれず、
Xも経済的自立を目指していた。

 

 

 

その理由は諸々あるのだが、
一番は、こうして私の実家に厄介になっていることの不自由からの開放だ。

 

 

 

 

今までは体調面で致し方なかった部分はあるのだが、
それでも、なんとかここを出ていく希望を手にするため、
経済的自立は避けては通れない問題だった。

 

 

 

 

Xの場合は、
ツインレイ女性としてのチャネラーやヒーラーみたいな、
超能力はない。

 

 

 

 

ただ、自己表現力には優れており、
言葉の扱いでは、2度ほど賞を頂いたこともあり、
文筆業というフィールドは、適しているように思われた。

 

 

 

 

そのため、ついに自身の本を、個人誌として売り出し、
そこから人脈づくりをしようという算段になっていた。

 

 

 

 

この話は、その発売の翌日の話である。

 

 

 

 

当たり前だが、まだ一冊も売れてはいない。

 

 

 

 

それでも、
まずは自分自身を外に表現したことを、
私は褒めたいと思ったため、
いつもの缶チューハイを、ちょっと良いツマミとともに差し出した。

 

 

 

 

「自己表現の壁を突破したこと、おめでとう」

 

 

 

 

それそのものは、Xは喜んでいたが、
自身の克服グセについて悩んでもいた。

 

 

 

 

すなわち、ここで私の両親に対して、
怖いと思わないように、
それを克服するのはどうしたらいいかということに悩んでいた。

 

 

 

 

 

この話はもう何度も繰り返してきたことなのだが、
克服は必要ない。怖いと感じていい。
克服できたところで、将来のメリットが有るようには、
どうしても思えなかった。

 

 

 

 

 

そこで私は言った。

 

 

 

 

「Xちゃんの星回りだと、克服するってことじゃないと思う」

 

 

 

 

「じゃあ、どうしたらいいの?」

 

 

 

 

「受け入れるってことじゃない?」

 

 

 

 

「え、ホロスコープって克服するためにあるんじゃないの?」

 

 

 

 

「そんなのどこで聞いたの?」

 

 

 

 

「あれ、どこで聞いたんだろう。
どうしよう、また勘違いして思い込んじゃった!
それじゃあ、なんのためにホロスコープはあるの?
出発点じゃないの?」

 

 

 

 

 

「出発点であり、ゴールだよ」

 

 

 

 

ここは解説しておく。
ホロスコープのネイタルチャート(生まれた時点の図)で、
表される性質というのは、確かに出発点ではある。

 

 

 

 

しかし、それだけにとどまらないと私は考えている。

 

 

 

 

それは出発点でありながらゴールであり、
多くの人は自分ではないものになろうと、
つい遠回りしたあげく、結局は出発点に帰っていく。

 

 

 

 

Xも私の両親のような「残念な人」を受け入れられる、
「心の広い人」になろうと、らしからぬ遠回りを続けていた。

 

 

 

「(出発点がゴールなら)じゃあ、
ひどい家に生まれた人はまたひどい家に戻るの?」

 

 

 

 

「それは状況の話で、
ホロスコープで表しているのは意識に過ぎない。

ひどい家の状況に生まれても、
意識を変えれば、
ひどい家という状況は変わる」

 

 

 

 

「例えば、とある講演家の方は、
自分が養子だったことを、
ある程度受け入れていて、

『あれ、養子の悲哀出ちゃったかな』と、
ネタにするほど昇華している」

 

 

 

 

「もし受け入れられなかったら、
養子である自分を一生隠して、
傷のまま残しておくことになるんだけど、
彼はそうはならなかった」

 

 

 

 

ホロスコープというのは、
そのカードで人生やってみてね、
という意味に過ぎない」

 

 

 

 

活かすも殺すも自分次第、というわけだ。
与えられたカードの特徴を理解し、
受容し、工夫して行く。
それが真の成長とみなされる。

 

 

 

 

「弱点を克服するのがホロスコープだと思っちゃった。
なんで誰も教えてくれなかったの?」

 

 

 

 

「いやいや、克服はいらないって何度も言ったでしょ」

 

 

 

 

「それよりは、持ってきたカード受け入れて、
一生懸命活用することを目指したほうがいいと思う。

現にYも、
星回りのとおり動いて成功しているように見えるって、

Xちゃんも言ってたじゃない」

 

 

 

 

「じゃあ、心の広い人にならなくていいの?」

 

 

 

 

「心の広い人に憧れるのはわかるけど、狭くても嫌われないよ。
しかもうちの両親みたいな人を許せるようになるのは、
かえって、まともな人に対する裏切りだと思う。
なんで、ああいう人たちをいいよいいよと許して、
野放しにするんですか、と」

 

 

 

 

「だから、ようするに、もうXちゃんに、
変わるべきダメなところなんてないんだよ」

 

 

 

 

「心が広くあることなんて、Xちゃんに誰も求めてないよ。
それよりは◯◯星の個性を生かしたほうが、いいと思う」

 

 

 

 

(Xのホロスコープについては、Yと同一のため、一部伏せ字にしています)

 

 

 

 

「なんか、すごくショック。ずっと克服しようとやってきたのに。
克服なんていらなくて、そのままで良かったなんて」

 

 

 

 

10代でエンパスを発揮し始めてから、
30年が経つ。
その30年、ずっと自分の欠点を克服しようと苦しんできた。
それだけに、何も変化しなくていいというのは、
かなりショックだったようだ。

 

 

 

 

すべての人に共通する、
克服すべき欠点というのは、
「自分の長所を知らない」ということが中心なのかもしれない。

 

 

 

 

30年前、
一浪して大学に入学したXは、
途中から馴染めなくなり、
金銭的事情もあり、中退している。

 

 

 

 

しかし、在学中にゼミで行っていたことが、
あとで個人誌販売につながってくる文筆スキルだったのだから、
人生とはつくづく無駄がないように思える。

 

 

 

 

それから30年。
鳥かごに囚われたような日々であったという。
そして、Xの星回りには、
30年前にセカンダリプログレッションの月を含めてできる、
鳥かごと呼ばれるアスペクトがあった。

 

 

 

そして今、
セカンダリプログレッションの月が1周したいま、
それがまたできようとしていた。

 

 

 

 

世間に馴染めない30年の鳥かごから、
開放される時が来ている。

 

 

 

 

そう感じる星回りではあった。

 

 

 

 

あれだけ成功しているYもまた、
それがあるとするならば、
心は30年の孤独にありながら仕事をしていたのかもしれない。

 

 

 

 

彼にもまた救われる時が来ていて、
いよいよXを迎えに来る余裕が生まれてくることを、
私は切に願っている。

45.生命力

Xとドライブに出かけた時の話である。

 

 

 

コンビニによって、
飲み物などを買う時があるのだが、
Xはいつも車中で待っている。

 

 

 

入店できないこともないのは、
靴を買ったときに証明済みなのだが、
入店できたからと言って、
ダメージを喰らわないわけではない。

 

 

 

 

なので、基本的に私が注文を聞いて買ってくる。

 

 

 

 

この日もそうして買ってきて車に戻ると、
Xが、

 

 

 

 

「Zさんだけ、やっぱり周りの人と違うね」

 

 

 

 

どう違うのか尋ねると、
生命力がある感じだという。

 

 

 

 

「他の人は、『影』みたい。
こっちを向いていても、顔がわからない感じがする。
だけど、Zさんは、背中を向けていても違うってわかる」

 

 

 

 

 

ただ、コンビニで買物をしただけなのだが・・・。

 

 

 

 

しかし、言われてみれば、
最近は、強いモチベーションで生きていて、
常にどうするかという目的意識を忘れることが少ない。

 

 

 

 

 

そのあたりが、立ち姿や歩き姿にも現れているのだろうか。

 

 

 

 

そういえば、私が師と仰ぐH先生も、
常にエネルギッシュで、生命力溢れる印象だった。

 

 

 

 

Xのことで、救えないツラさや、
なかなか仕事が決まらない時期の厳しさに、
元気でいられない時期も長かった私ではある。

 

 

 

 

しかし、骨折以後、
なぜか元気である。

 

 

 

 

もちろん、まだ右腕は、
完全ではない。
引き上げる動作はそれほど問題なく、重いものは持てている。
しかし、押し込む動作はまだかなり厳しい。
包丁で細いごぼうは切れても、厚いキャベツは切るときにまだ肘が痛む。

 

 

 

 

それでも、気持ちは落ち着いている。
Xの個人誌販売が始まり、
社会に進出し始めたことが、
ツインフレームの役割の終わりを表していると感じられ、
安心できていることがあるのかもしれない。

 

 

 

 

そのうえで、今度は自分自身の将来を考え始められているのも、
元気を維持できている安心材料の一つかもしれない。

 

 

 

 

 

私のスマホAndroid端末なのだが、
◯年前の今日みたいな感じで、
過去の写真をピックアップしてくることがある。

 

 

 

 

 

6年前に筑波山に登山したときの写真が出てきた。

 

 

 

 

そこに写っている自分の顔を見たとき、
たしかに、自分でも、

 

 

 

 

 

「あれ? 今のほうがいい感じかも」

 

 

 

 

と、思えたのだ。

 

 

 

別にその時の顔も、普通だし、
特別悪かったわけではない。

 

 

 

 

なのに、今のほうがより良いと感じたのだ。

 

 

 

 

その話をXにしたら、喜んでくれた。

 

 

 

そして、Xのおかげだ、
自分らしさに還れたと告げると、
少し涙ぐんで、

 

 

 

「そっか。なにかしてあげられてたことがあったんだ。
もらってばかりで何も返せてないわけじゃなかったんだ」

 

 

 

 

と言っていた。
たしかに私の両親は弱く残念な人で、
そこで育ったことで、私も残念な人になりかけていた。
しかし、Xと出会い、運命から逃げないことができるようになった。

 

 

 

 

ツインレイ女性をサポートするツインフレームにもメリットは有る。

 

 

 

 

よりビビッドに人生を捉え、
本当の自分に還るきっかけをもらえるのかもしれない。

 

 

 

 

私は、Xを送り出したあと、
人の役に立つことがしたい。
そのために、ツインフレーム体験から得たものを最大限活用し、
Xのように悩める人に、
なんらかの価値を提供したいと思うようになってきた。

 

 

 

 

西洋占星術は長らく学んできた。
それもすべて、Xに「選ばれし者の自覚」と、
「導かれし運命への信頼」を持ってもらうため。

 

 

 

 

Xのエンパスがひどくなる前、
まだ少々のベンゾジアゼピンを服用しつつ、
減薬中だったころの話に飛ぶ。

 

 

 

 

とある有名な占星術の先生のもとに、
Xは鑑定を受けに行った。

 

 

 

 

その先生は、可愛らしい声と、軽い口調で
(この配置を持つ人は)選ばれちゃった系なんですよぅ」と、
Xに言った。

 

 

 

 

当然、同じ日で、誕生時間も近い可能性があるYもまた、
「選ばれちゃった系」なのだろう。

 

 

 

 

星というのは、やはり何かあるのかもしれない。

 

 

 


50番の手記で終わるつもりではあるが、
残りの手記は、YのヒントになるXの星回りも含め、
占星術の話も交えてできたら、と思う。

 

 

 

 

もう少しお付き合いいただけたら、幸甚である。

44.紫陽花

翌日のことである。

 

 

 

Xはいつも昼頃起きる。

 

 

 

この日は休日。
私は朝早く起きて、
Xのできない、外出して行うことをこなす。

 

 

 

それは買い物だったりとか、
溜まった資源ごみのゴミ出しとか。

 

 

 

この日もそれらをこなしたあと、
Xが起きてきた音がすぐに拾えるように、
部屋の扉を開けたままBalatroをプレイしていた。

 

 

 

 

そして、いつもの休日のように、
Xがカーテンを開けるしゃっという音がする。

 

 

 

不敵に微笑むジョーカーたちに別れを告げ、
朝の挨拶に向かう。

 

 

 

 

そこには、いつもより数段晴れやかなXがいた。

 

 

 

 

「おはよう、Xちゃん」

 

 

 

 

Xは朝に弱い。
気分がすぐれなかったり、体調がすぐれなかったり。

 

 

 

 

 

起きるだけで一苦労なため、
常に昼過ぎの起床になる。
Xが自称したわけではないけれど、
スターシードにはあるあるらしい。

 

 

 

 

 

 

そんなXが、
今日この日の朝というか昼はとても穏やかで、
晴れやかだった。

 

 

 

昨日はなしたことが良かったのだろうか。

 

 

 

 

朝食というか昼食を終えたXと、
ドライブに出かける。

 

 

 

この郊外の川沿いの道をドライブするのも、
あと何回だろうか。

 

 

 

こっちに引っ越してくる前に、
急遽故障した前の車のかわりに購入したこの車。
中古車販売店に、積もるほどの大雪の日に二人でいった。

 

 

 

雪の中に佇む可愛らしいポップなカラーのボディに、
少し予算オーバーだけど、これしかないと二人で決めた。

 

 

 

買った頃は40000キロ台だった走行距離も、
今日84000を超えた。

 

 

 

なんとなくだけど、85000キロまでは乗ろうと、
70000キロを超えたときに考えていた。

 

 

 

あと1000キロ。
今日20キロぐらい走ったから、
またカウントダウンが進んだ。

 

 

 

こっちへ引っ越してきたときも、
この車でXを連れてきた。
Xを救えない悔しさでいっぱいだったのを覚えている。

 

 

 

「次はなんの車にするの?」

 

 

 

「あー、利便性で選ぶかも。
災害時に強いとか。ハイエースになるかもよw」

 

 

 

私は別にお金に余裕があるわけじゃない。
選択肢も限られている。
まぁ、予算に余裕があっても、地味なものを選びそうだけど。

 

 

 

 

それでも、最近は、好きな声優さんができたから、
その人にちなんだ痛車にするかも。

 

 

 

ちなみに、オタ活にもハイエースは便利らしい。
なるほど、あながち冗談の選択肢ではないかもしれない。

 

 

 

ふと、横のXを見る。
やはり、今日はいい顔をしている。

 

 

 

「それよりさ、今日、すごくいい顔している。
いつもいいけど、今日は一段といいね。
なにか、吹っ切れたみたいな」

 

 

 

Xが言う。

 

 

 

「わたし、自分じゃないものになろうとしてた」

 

 

 

一瞬、なんて返していいかわからず、
信号待ちで止まって、アルミボトルのコーヒーを飲んだ。

 

 

 

「そのまんまで良かったんだね。
不安を感じないように直さなきゃって思ってた。
でも、不安になるのは副産物なんだよね」

 

 

 

「なにかやるべきことがあって、
そのための性質を持って生まれてきて、
だから不安っていう副産物がある」

 

 

 

 

不安を感じても、
そこからの立ち直りが人より遅くても、
それで『自分』だということが、
今のXは、かなり納得できてきたのかもしれない。

 

 

 

「良かったね。きっとこの街を出て、次にむかえるよ」

 

 

 

川沿いの駐車場が格安で、
そこを通り過ぎるとき、私はそれを指さしていった。

 

 

 

「ほら、あそこに止めれば、川沿いの桜があるいて見られるよ」

 

 

 

 

「ほんとだー!ちょうどいいね」

 

 

 


「って、Xがここで桜を見ることは、来年はないだろうけどね」

 

 

 

 

きっと、Xは、私のところを卒業する。

 

 

 

 

何も悲しいことじゃない。
ツインフレームがツインレイを支援するというのは、
そういうことなのだ。

 

 

 

来年は、住んでいる街もここじゃないだろう。

 

 

 

川沿いには、桜の他につつじが植えられている。
ことしのつつじの咲き具合も素晴らしい。

 

 

 

「一昨年行った◯◯公園の紫陽花がまたみたいな。
去年はいけなかったから」

 

 

 

去年は、Xの体調が悪く、
紫陽花の季節には、近隣の中学校まで歩いて見に行った。
車で行ける範囲の公園には、もっと咲いているが、去年は行けなかったのだ。

 

 

 

 

「昔は紫陽花あんまり好きじゃなかった。なんか辛気臭く感じられて」

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、今はすごく色んな色があって、いいなって思う。
それも、こんな事があったから思えるようになったんだと思う。
一人じゃのりきれなかった」

 

 

 

 

「誰かの助けを借りなきゃならないほどの、
ピンチを乗り越えたんだから、きっとしあわせになれるよ」

 

 

 

 

「うん」

 

 

 

Yよ、
はやく迎えに来ておくれ。

 

 

 


やっぱり、私はXにしあわせになってほしい。

 

 

 

そして、あちこちで最高の紫陽花やら季節の花を見せてあげてほしい。

 

 

 

それが私の願いである。