15.純粋さを持たない人々

境界線問題について、
少し長く記してしまったようだ。

 

 

だが、
他者との違いが認識しづらいツインレイ女性において
避けては通れない問題なのかもしれない。

 

 

 

とはいえ、ここで境界線問題から少し離れたい。
Xも苦しんだ、
「他者とは何か」という問題についても
記しておく必要があるだろう。

 

 

 

 

この場合の他者とは、
ツインレイ女性のような純粋さを持たない人、
という意味である。

 

 

 

人は誰しも、自分にとって当たり前のことは、
他者にも発生していると勘違いしがちである。

 

 

 

すなわち、自分のものさしで他者を判断するものさし問題である。

 

 

 

たとえば、地震が起きたら募金をするというのは、
Xにとって当たり前のことで、
まさかそれをしない人がいることが信じられない。

 

 

 

これは、自分を基準としたものさしで他人を測る「ものさし問題」である。

 

 

 

Xとの対比になるが、私の両親は、募金などしない人だった。
少なくとも募金する様子を、子供の頃から見たことがない。
家そのものに、募金という文化が存在しないようにすら思えてきた。

 

 

 

 

恥ずかしながら、私自身もXと入籍するまで、
苦しんでいる人にお金という形でエールを贈るという、
発想がなかった。
私も自分のものさしで人を測っていたと言えるだろう。

 

 

 

私の実家もXの実家も決して余裕があるわけではなかったが、
Xの家は私の家より人徳はあったので、募金する家族がいたようだ。

 

 

 

余裕のあるなしと、人徳のあるなしは、
あまり関係がない可能性があることを、
私も知ったのだ。

 

 

 

ところが、今回の能登地震では、おかしなことが起きた。
あの母が明日募金してくるからね、と鼻息荒く言い出した。
そして、翌日「1000円募金してきたから」と、
これまた鼻息荒く報告してきた。

 

 

 

???

 

 

 

やらない善よりやる偽善である。
募金そのものはいい。
額のことも、生活からすればもっと出せるだろうと思うところもあるが、
この際、気にしないようにする。

 

 

 

問題は、予告と報告を行うことである。
一体なんなんだ、褒めてほしかったのだろうか。
これではまるで、私は人非人ではないですよ、という予告と報告である。
なにかやましいところがあるのかと、
かえって疑ってしまうほどである。

 

 

 

この話をXにしたところ、金額にも、
報告にも目を丸くして仰天していた。
が、これはとても軽い事例に過ぎない。

 

 

 

Xからすれば、私の母のやることなすことが、
いつでもびっくり仰天である。

 

 

 

もう一つ例を出そう。
私の腕は、これを書いている現在ギプスの状態だ。
右手はうまく仕えないので、食事においては、
白米は、おにぎりにしてもらうことが多い。

 

 

 

 

母が作るのは、塩味もついていない、具もない、
海苔もないものなのだが、
Xからすれば、そんな扱いはひどすぎると怒っていた。

 

 

 

 

「世の中には色んな人がいるんだね」

 

 

 

昨今のXの口癖である。

 

 

 

他者の中には、私の母のような、
あまり気を使えない一般人が混じっている。

 

 

 

もちろん、私の母より問題を抱える人はいるし、
もっと善人と思える人もごまんといる。

 

 

 

これまでXは、こうした純粋さのないひとがよくわからないままやってきた。
実はこの他者の中に交じる
「あまりよくない一般人」「純粋さを持たない人々」については、
私も2021年頃から、何度もXに伝えてきた。

 

 

 

 

自分のものさしで測ってはいけない。
世の中には、信じられないほどの悪があり、
それらは陰陽である。

 

 

 

Xのような光の純粋さもあれば、
人を人とも思わない傍若無人な闇も同時に存在する。

 

 

 

Xに対し、私は、
「世の中には残念な人がいる」と説明した。

 

 


とあるXの友人は、
「Xさんは純粋なところがすごい。え、みんな?みんなもっと邪だよ」とXに伝えた。
彼女はたくさんのひとにアドバイスする仕事をしている。

 

 


Xの好きな芸能人も「褒めたい人がいない」と発言したという。

 

 

 

これらの言葉をXは噛み締めようとしたが、
いつも、多くの他者がもっと善であるかのような錯覚を、
起こしてしまいがちだった。

 

 

 

たしかに、Xのような善のひと、純粋な人も、
きっとこの世の何処かにいるだろう。
だが、それらはあくまで、ケタ違いの少数派だ、
ということを私やサポートする側が忘れてはならない。

 

 

 

大多数は、Xとちがう物の考え方をする。
もっと言えば、同じ考え方同士の人間など、この世には存在しない。
それはたとえ、ツインレイでもそうだろう。

 

 

 

近頃のXは、2021年からの学習の効果もあり、
そうした他者のなかに一部いる「あまりよくない存在」をようやく、
少しづつではあるが、認識し始めているようだった。

 

 

 

これを学ぶと何がいいのかといえば、
以下のような事例を防ぐことができる。

 

  • 残念な人の残念な行動を見る
  • そんな悪いことをする人がいるはずないと考える
  • だから自分がなにか悪いことをしたから、攻撃されたと考える
  • 以上の誤解から、世界が全て敵になって孤立する

 

この「そんな悪いことをする人がいるはずないと考える」部分を、
現実を認識してもらうことで、変えようと私は考えたのだ。

 

 

まる3年ほどかかったが、ようやく光明が見えてきた。
度重なる私の両親のノンデリ行動により、
Xは自分に関係のないところでも、
良くないことを普通にしている人がいることを、
理解し始めたのだ。

 

 

 

人は人の間に生きるから、人間なのだ。
傍若無人に生きれば、それはヒト属という動物に過ぎない。

 

 

 

人間のように見えても、動物のように生きていたり、
あるいは動物よりも低い社会性の生き方しかできないヒトもいる。
そのことがXを大きく落胆させることはわかっている。

 

 

 

それでも、Xはその現実を受け入れなければならない。

 

 

 

「世の中にはいろんな人がいる」

 

 

 

逆に言えば、闇もあれば光もあるのだ。
Xの相手と思しきYが、
光あふれる人間として、
Xの前に現れてくれるであろう未来を、
私は予祝している。