私がXをサポートする上で、
気をつけていたことも記しておこうと思う。
もしあなたが、
私と同じようにツインレイ女性的な人を、
サポートする立場になったとき、役に立つかもしれない。
もっとも大切なのは、
「相手が主役であることを忘れない」
ことである。
私にとっての主役はXであった。
私は、あくまで脇役である。
ピッチャーとキャッチャーみたいでもあるが、
それよりは、ホームズとワトソンに近い。
なぜかというと、
この場合のホームズであるXは、
「自分自身が何者であるか」という難事件に挑んでいるからである。
この場合のワトソンである私(Z)は、
あくまで記録係に過ぎない。
もちろんワトソンも事件において、
なにかプラスのことをするが、
ヒントではあっても、ほとんどの解決は、
ホームズが行う。
Xの場合もそうだ。
自分自身の特徴を理解し、
社会での個性を認識するのは自分自身である。
私がでしゃばりすぎたり、主張しすぎたりすると、
Xはかえって迷ったりすることもある。
例えば仮に正しい主張だったとしても、
Xが自ら体験的に理解しようとしない限り、
Xの「血肉」にならないので、
彼女はもう一度、その主張された課題に向き合うことになる。
よく起こっていたのが、
私が数年前にXに語っていたことを、
今になってXが突然気がついたりすることだ。
例えば、境界線問題だ。
どうしても他人と自分を同一視してしまうXに対し、
他者はあなたと違って残念な人が多いと伝えていた。
しかし、それをXが理解するには、
何度も残念な他者を自ら観察し続けるしかなかった。
それこそ、年単位であり、境界線問題に関しては、
今もまだ追い続けているモリアーティ教授である。
ワトソンが直感で語った犯人を、
ホームズが証拠を積み上げて追い詰めるような、
遠回りに感じる話ではある。
X自身が体験的理解をする。
それこそが、主人公の成長ムーブであり、
脇役があまり先導しすぎてはいけない。
先導したところで、納得できる十分な証拠集めは、
主役であるホームズ本人に委ねられている。