18.主役はホームズであってワトソンではない

私がXをサポートする上で、
気をつけていたことも記しておこうと思う。

 

 

 

もしあなたが、
私と同じようにツインレイ女性的な人を、
サポートする立場になったとき、役に立つかもしれない。

 

 

 

 

もっとも大切なのは、
「相手が主役であることを忘れない」
ことである。

 

 

 

 

私にとっての主役はXであった。
私は、あくまで脇役である。

 

 

 

 

ピッチャーとキャッチャーみたいでもあるが、
それよりは、ホームズとワトソンに近い。

 

 

 

 

なぜかというと、
この場合のホームズであるXは、
「自分自身が何者であるか」という難事件に挑んでいるからである。

 

 

 

この場合のワトソンである私(Z)は、
あくまで記録係に過ぎない。

 

 

 

もちろんワトソンも事件において、
なにかプラスのことをするが、
ヒントではあっても、ほとんどの解決は、
ホームズが行う。

 

 

 

 

Xの場合もそうだ。
自分自身の特徴を理解し、
社会での個性を認識するのは自分自身である。

 

 

 

 

私がでしゃばりすぎたり、主張しすぎたりすると、
Xはかえって迷ったりすることもある。

 

 

 


例えば仮に正しい主張だったとしても、
Xが自ら体験的に理解しようとしない限り、
Xの「血肉」にならないので、
彼女はもう一度、その主張された課題に向き合うことになる。

 

 

 

 

よく起こっていたのが、
私が数年前にXに語っていたことを、
今になってXが突然気がついたりすることだ。

 

 

 

 

例えば、境界線問題だ。
どうしても他人と自分を同一視してしまうXに対し、
他者はあなたと違って残念な人が多いと伝えていた。
しかし、それをXが理解するには、
何度も残念な他者を自ら観察し続けるしかなかった。
それこそ、年単位であり、境界線問題に関しては、
今もまだ追い続けているモリアーティ教授である。

 

 

 

 

ワトソンが直感で語った犯人を、
ホームズが証拠を積み上げて追い詰めるような、
遠回りに感じる話ではある。

 

 

 

 

X自身が体験的理解をする。
それこそが、主人公の成長ムーブであり、
脇役があまり先導しすぎてはいけない。
先導したところで、納得できる十分な証拠集めは、
主役であるホームズ本人に委ねられている。