07.信じてなくても欲しいものは欲しい

見えないものを信じる、
見えない愛を見えるものにできたら、
きっと信じられる。

 

 

私は当時そう考えていた。
そのため、実際に愛を目に見える形で示そうとしたが、
何しろXほどではないが、私も機能不全家族育ちだ。

 

 

自分の愛の示し方があまりにも不器用で馬鹿げていた。
当時のことを記しておく。

 

 

2019年夏。
パニックを起こして倒れたX。
それは動けなくなるようなものではなく、
むしろ、恐怖のあまり止まることができない、という形で現れた。

 

 

動いていないと呼吸が止まる。

 

 

実際にはそんなことはないと思われるが、
ともかく当時のXは本当にそう思い込み、
日がな一日中歩いていた。

 

 

あそこで私が無理に歩くXを止めていたら、
一体どうなったのだろうか。

 


そう思ったこともあったが、
実際にはそうしなかったのだから、
その先はただの想像でしかない。

 

 

 

とにかく本人は、呼吸が苦しい。
息が吸えていない感じがする、という説明を、
本人は私にゆうに百回以上は訴えた。

 

 

 

ヒステリー球と呼ばれる症状に近いものがあった。
のどになにかボール状の異物が詰まったような感じがあり、
その圧迫感が呼吸が止まる恐怖を生み出す。

 

 

 

特に確実な治療法があるわけではないらしい。
漢方でよくなるとか、認知療法だとか、
とにかく、特効薬や確実な方法というよりは、
それなりに効果があったというものを試すよりほかない。

 

 

 

しかし、その時のXはなかなか病院にもいけない状態だった。

 

 


どうしたものかと困り果て、
あまりの困り具合に冷静さを失った私は、
なにをどうとち狂ってしまったのか、
ヒステリー球を心霊治療的に取り出してみる、と考え出した。

 

 

 

今これを書いている時点で、恥ずかしいほどのバカさ加減で、
一体何を考えているのか、と当時の自分を殴りたくなる。

 

 

 

だが、なぜか、これは病院に行けないXにとっては、
それなりに効果を発揮した。

 

 

 

皆まで言わなくともわかる。
おそらくプラセボなのだ。

 

 

だが、とにかく、Xの喉になにか詰まっている感じがしたし、
それを地引網をひくように手をひたすら動かして、
必死に取り出そうとした。

 

 

 

Xは、わぁ、取れてる、取れてると言っていたが、
こっちとしては、必死に手を動かしながら、
取れていることを祈るしかできない。

 

 

 

実際に詰まっている何かが取れているかを確認するすべはないのだ。

 

 

 

1時間ぐらいやって、へとへとになって、
Xが少し楽になったと言い、食事を取ったりする。

 

 

 

こんなことを何回やったがわからないが、
ときには、なんとかXを車に乗せて、
近所の夜のスーパーの屋上駐車場で同じことをしたりした。

 

 

はたから見れば異様な光景だったろう。
震えながら屹立する女性。
その女性に向かって地引網を引くようなジェスチャー
必死で行っている男性。

 

 

たまたま通りがかる人がいなくて本当に良かったと思っている。

 

 

 

もちろん、こんなことでXが全快することもない。
しばらくすれば、また再び歩き続けるのだ。
ひとりで歩かせるわけにもいかない。

 

 

家の廊下に毛布を敷き、Xが足を傷めないようにして、
歩きやすくした。

 

 

その毛布の上を、私も手をつなぎ、二人して何時間も歩く。
膝が痛い、足首が痛い。
しびれを感じるが、止まるわけにも行かない。

 

 

計算したら、1ヶ月で400キロ以上は歩いた計算になる。
その後の霊的成長につながる、アセンション的生活と合わせて、
お遍路さんや、カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼のようだと思ったりもした。

 

 

 

それまで何度も何度も、Xに愛を疑われてきた。
助けるふりして、本当は突き放すんじゃないのか、とか。
私としては、普通の愛情を普通に示しているに過ぎない。
しかし、それがXにとっては恐怖だった。
あまりのつらさにXは時折錯乱する。

 

 

私が普通の愛情からの、普通の行為をしても、
警戒して受け取らない。
きっと、Xの脳裏に、幼い頃の父の影がよぎっていたのだろう。

 

 

 

もし、ここで私が共に歩き続けなかったら、
Xはもっと愛を信じなくなっただろう。
そうはさせまい、と覚悟を決めていた。
必死だった。

 

 

 

なぜ、そんなに頑張れたのか、
今でもよくわからない。
不思議な使命感みたいなものもあった。

 

 

 

ただ、その時の私自身が、
バカで幼稚だった。
もっと現実的な助ける手段を選べなかったのか。
とは、今でも思う。

 

 

 

何も分からなかった自分だが、
その時ですらわかっていたことがある。

 

 

 

Xは愛が怖いのに、
愛されないことをもっと怖がっている。

 

 

それだけはわかっていた。
信じてなくても、欲しいものはほしいのだ。
だから、愛は特別なものではないことを伝えたかった。
本当は、愛は簡単に与えられるし、
愛は簡単に受け取れる。

 

 

 

だけど、当時のXは愛は特別だと思いこんでいたから、
特別でもなんでもいいから、自分に届けられる愛を、
すべて形にする。

 

 

その思いだけで、必死でしがみつくXの手を握り、
幾夜も、毛布の上を歩き続け、そしてまた地引網のジェスチャーを続けた。
いつか必ず、愛はいつでもそこらじゅうに転がっていることを、
信じられる時が来る。
私自身、それを信じていた。

 

 

 

その生活は1ヶ月続いた。