28.虹

春分の日国民の祝日のうちのひとつである。
なんて、みんな知っていると思うことを、
わざわざ書くものではないのかも知れない。

 

 

今日はそんな祝日の話だ。
祝日には私とXの間で恒例になっていることがある。

 

 

 

恒例と言っても、どちらもやりたくてしていることではないのだが、
つい、そういう行動に走ってしまう。

 

 

 

この恒例行事をなんと呼んでいいか、
少し迷うところはあるのだが、
表現するなら「人生トーク」とでも言うべきものだ。

 

 

 

今現在の悩み、課題、解決の方向性、
将来に向けたビジョンづくり。

 

 

 

いろんなことを話す。

 

 

 

そんな話をしないで、
普通に趣味の話でもすればいい。
それは正論だ。

 

 

 

だが、実は私とXは、趣味が合わない。
(いったい、なんで入籍したんだ???あ、運命なのか・・・)

 

 

私はオタクで流行りものが好きだ。
みんなが好きなものが好き。
一方、Xはオタク文化には興味がなく、独自の美的感性で、
自分の好きなものがはっきりしているタイプだ。

 

 

 

 

だから、趣味のジャンルで会話しようとすると、
フラストレーションが溜まる。

 

 

 

これも運命によって仕組まれているのではないかとすら思える。
唯一会話が進むジャンルが「人生について」というわけだ。

 

 

 

 

なかなか悲しい話ではないか。

 

 

 

そんなわけで、ということでもないのだが、
祝日で休みとなると、
必然のようにして、人生についてばかり話してしまう。
毎回そんなだから、祝日を恐れていたりもする。

 

 

 

なんだ、それぐらい、いいじゃないか。
よくある話じゃないか、と思われるかも知れないが、
時間が違う。
朝から晩まで5時間が2セットに及ぶのだ。
流石にお互いへとへとになる。

 

 

 

しかも、人生について知るということは、
自分について知るということでもある。

 

 

 

 

なかなか聞きたくない、耳にいたいことも
お互いにぶつけ合う。
時には喧嘩にもなる。
それでも話し合いが終わることはない。
喧嘩の解決の話し合いも妥協は一切ない。

 

 

 

そして、その都度、
夜遅くに大切なことに気がついて終わるというのが、
通例ではあった。

 

 

 

 

昨年までの。

 

 

 

そう。
昨年までは本当に疲労してきた。

 

 

 

たしかに、それがプラスだった面もあるだろう。
とくにXにとってツインフレームから教わる人生訓めいたものは、
社会を理解し、自立に役立つものだ。
わたしはなぜか、偶然にも宗教や哲学の書物だけは、
ちょっと読んだだけで簡単に意図が理解できる変な能力がある。

 

 

 

(余談だが、私の手相には二重頭脳線があり、その二本の頭脳線でファティマの目という眼識に優れた珍手相が作られてたりする。ファティマの目は普通は感情線と頭脳線の間にできやすいものらしい。私のような事例がネットで見当たらなかったので、どう解釈できるものかわからないが、変な直感力はこれなのかも知れない)

 

 

 

Xの女性性の暴走に気がつけたのも、
ヨガ哲学を学んでいたからに他ならない。

 

 

 

少し披露するとしよう。

 

 

 

クンダリニー覚醒をご存知だろうか。
あれはとても危ない。

 

 

 

人間にはもともと男性原理エネルギーが通るピンガラと、
女性原理エネルギーが通るイダーがあると、
ヨガ哲学では記されている。

 

 

 

そこでツインレイ男性に言われる男性性の空回りが、
ピンガラを通っていると考えるわけだ。

 

 

 

だったらイダーは?というわけだ。
女性原理にも空回りに匹敵するエネルギー暴走がないとおかしい。
そう考えたわけだ。

 

 

 

これは単なる理論だ。
Xとしている人生トークに占める割合で言えば、とても低い。
カレーライスで言えば、福神漬程度のものだ。

 

 

 

人生トークでは、
もっとお互いの深い悩みや、
その原因追及に焦点が当てられることが多い。

 

 

 

それが、この人生トークの濃密なところであり、
疲れ果てるところでもある。

 

 

 

ところが、この春分の日は少し違った。

 

 

 

もうお互いに、厳しく指摘するところが少なくなってきている。
そう感じた。
現に、11時頃から始まり、16時頃に終わった。

 

 

 

5時間2セットが、5時間1セットと半減しているではないか。

 

 

 

今回の終了のきっかけは、
Xが窓の外を見たことだった。

 

 

 

「虹!」

 

 

 

その日は午前に雨が振り、午後も少し降って、
やがてやんだ。

 

 

 

雨上がりの虹である。

 

 

 

しかもとても大きな虹で、
二人して感動していた。

 

 

 

最近のXは、本当になにか重たいものから開放されたように見える。

 

 

 

その彼女を祝福するかのような、
大きく美しい虹だった。

 

 

 

「おめでとう。もう苦労からは卒業だね。
祝福されてるでしょ、これ」

「Zさんもね」

 

 

 

そういえば、名前にさん付けでXが呼んでくれるようになったのも、
こっちにきて、散々苦労してきてからだった。

 

 

 

前の家にいたときは「じじい」って呼ばれてたっけ。
笑えるな。
今のほうがもっと老けてジジイになっているのに。

 

 

 

調べたら、3年前にも二人でこの部屋から虹を見ていたらしい。
その時の写真も残っていた。
でも、そのころはまだ何かを祝福されているように感じる余裕はなかった。
写真を見比べても、今回の虹のほうが大きく、
色もかなりはっきりしている。

 

 

 

 

まだXの体調が完全回復したわけではない。
相変わらずエンパスで家から出られない。
自己表現を始めたものの、それだってまだ売りにも出していない、
個人誌のレベル。とても人脈形成できる段階ですらない。

 

 

 

それでも、何かが違う。

 

 

 

もう苦しみにあえぐだけではない。

 

 

未来にはまだ沢山の選択肢がある。
そんな希望を起こさせる虹を見た、宇宙元旦「春分の日」だった。