27.春分の日の前日譚2

買ってきた缶チューハイを飲むか聞いた。
「うん」という返事に、自然と一緒に飲もうかなと言葉にしていた。

 

 

 

Xは私の珍しい様子に軽く驚きつつも、
すぐさませんべいなどのつまみを皿に用意した。
小さな皿にも別に盛り付け、亡くなった祖父母の写真の前にもおいていた。

 

 

 

この日は春分の日の前日。
占星術的に言えば、おひつじ座が始まる「宇宙元旦」の前日で、
「宇宙大晦日」とでも言えるような日だ。

 

 

 

しみじみとここまでを振り返る。

 

 

 

「まさか酒盛りができるなんて」

 

少し間をおいて、返した。

 

「ほんとにね」

 

 

 

それぞれでグラスに、選んだチューハイを注いでいる。

 

 

 

Xもつい最近まで酒を飲まずに来た。
酒を飲むのは甘えだと考えていたからだという。

 

 

 

それでも、近頃はすこしちがう。
2019年からここまで、
(断薬から言えば、2015年からになるが、)
言葉に出来ないような桁違いの、
多重ストレスに晒されてきた。
それで成長した部分もあった。
そんな強烈な人生の旅路を歩んだ自分へのねぎらいの権利を、
酒を許すことで、いまは認めることができているのだろう。

 

 

 

これも自己肯定の一例ではないだろうか。
ツインレイ女性において、自己肯定も重要なテーマだ。
Xもどのように自分を肯定するか、
全面的に自己の存在のすべてを肯定しようと、
桁違いの言葉の量で思考してきた。

 

 

 

でも、そうじゃない。
自己肯定は、小さな日常の積み重ねなのかもしれない。
日々日々、都度都度、刹那刹那の、
「肯定」しかないのかもしれない。

 

 

 

 

Xはまだ体調面で不安を抱えている。
それでも、酒盛りなんて何年ぶりだろう。
確実に回復は進んでいる。

 

 

 

Xは自己表現というテーマにも取り組み続け、
まだ販売していないが、
個人誌(ZINE)を作ってみた。
私は印刷用のデータ作成を得意としており、
Adobe系のソフトを人に教えられるレベルで使える。
そのスキルが役に立った。

 

 

 

同時に、即売会への参加も計画中だ。
これも私がオタクとして漫画同人誌の制作販売経験があるのが役に立った。
外に出られないXの代わりに売り子を務めることもできる。
ちなみには、いまはほとんどそっちに興味がないので、
自分では売るほどのものを作る気にならない。

 

 

 

なんだかXのためだけに、
入籍前から、
そっちの趣味をあらかじめ経験しておいたかのような
趣すらある。

 

 

 

これを運命と見るか、
偶然と見るかは、皆さんに任せる。

 

 

 

酒を飲みながら話すのは、
この家での暮らしの厳しさだ。
まずエンパスのダメージが想像以上にでかい。
そのことがXを最も苦しめていた。

 

 

 

たぶん、
ネットでエンパスを調べても、
Xほどの強度の場合の、
その実態を詳しく書いているサイトがどこにもない。

 

 

 

だから、エンパスかどうかすら、
誰にも認定できない。

 

 

 

X自身も、自分がエンパスかどうか、
もう何年も疑い続けている。

 

 

 

実際、エンパスの人々は、
自分がエンパスかどうかの現実がうまく飲み込めないようなのだ。
エンパスであると自覚することは、
そうでない人に対し、アドバンテージだと思われないか、
すごく心配になってしまうらしい。

 

 

 

エンパスだと認めることは、
他者に対し、マウントを取ることのように思えてしまって、
それは絶対にやりたくない、という人たちらしいのだ。

 

 

 

でも、たしかに、
うちの両親が返ってくる直前に、
Xはかなり激しく体の痛みを覚える。
その直後、玄関のドアが開く。

 

 

 

そんな現象をもう何回見ただろう。
原理はよくわからないが、
たしかに、エンパスとしか表現できないような、
理由のわからない出来事を、
有り余るほど目撃し続けてきたのだ。

 

 

 

ツインレイ女性の多くがエンパスだという。
ツインレイ女性といえば、女性原理エネルギーが強すぎる人たちである。
きっと、エンパスと女性原理エネルギーはなにか関連がある。
私はそれをずっと疑っている。