26.春分の日の前日譚1

3月。

 

 

 

右肘の可動域も95%は回復したと言っていいだろう。

 

 

 

 

まだ完全に左肘と同じように開くわけではない。
それでも、日常生活においては、
いくつかの動かしにくいシーンで恐怖感があることを除いて、
概ね平常通りに近い。

 

 

 

春分の日の前日の話だ。

 

 

 

仕事の帰り道、Xから買い物を頼まれた。
強いエンパスのため、外出もままならないXは、
ほとんどの買い物をネットで行う。
しかし、一部生鮮食品や日用の細々としたものは、
私が仕事帰りに買っていくこともある。

 

 

 

その日も精神安定のために常食しているバナナなどを頼まれた。
しかし、今までとは違う品物も含まれていた。
「あと、缶チューハイも買ってきて欲しい」
種類はまかせるという。

 

 

 

私は普段ほとんど酒を飲まない。
人生で4回救急車に運ばれており、
そのうち2回は急性アルコール中毒である。
酒の弱さにはそれなりに自覚がある。

 

 

 

それでも、何故かその日は、自分の分も含めて、
3本の缶チューハイを買って帰った。
なんとなく、酒盛りになるのが当たり前のような感覚でいた。
ここ何年もそんな余裕のない生活を続けてきたのに。
なにかが変わってきているのだと感じる。

 

 

 

家に帰り、Xの食事を見守り、食後にかなり色んな話をした。

 

 

 

最近の私の動きが、
がんばっていないようにみえるという。

 

 

 

確かに私は、少しやる気を失っていた。
もちろん、肘のことがあってのことだ。
もともとかなりマイペースな人間で、
なにごともゆっくりと取り組む。
だから、一度健康の損失からやる気を失うと、
取り戻すのにきっと平均より時間がかかるのだろう。

 

 

 

マイペースについては、例えばこんな話をした。
自分がブログ記事を週3つ書くとしたら、
月曜日と火曜日に2つ書き上げて、3つ目はギリギリまで書かない。
どうあがいても間に合うぐらい、だいたい8割仕上げたら、
あとは締切間際の集中を使う。

 

 

 

そんな話をXにしたら、彼女は月曜日に3つ書いて、
4つ目を火曜日以降に書いてしまうという。

 

 

そんなXとは対象的にマイペースな自分ではあるが、
元気がなくならないように、
怪我の前はジムに行くなど男性ホルモンを出すトレーニングをしていた。
それが入院中に、どうせしばらくいけないだろうからと、
解約していた。
退院後再契約したが、タイミングが悪く、
再開が4月になってしまった。
それでこの3月は余計に元気が出ない部分もあった。
(掲載が3月よりあとになっていると思うが)

 

 

 

 

そんな私の意欲の低さがXを不安にさせてしまうのだ。
せめてどういう理由でメンタルが低下しているのか教えて欲しいという。
それに関しても、低下している自覚がなく、
指摘されて落ち込んでいたと気づいたことも伝えた。
かなり驚いていたようだった。
自分のメンタルの変化に敏感なXからすれば、
信じられない様子だった。

 

 

 

また、私は自分が頑張っていると思っていないので、
頑張っている様子をXに伝えようと考えたことがない。

 

 

 

しかしXは、言ってくれないと
ただサボっているように見えるのだという。
Xは頑張っていない人が嫌いだ。
エンパスとして嫌な影響を受けるという。

 

 

 

そこで何をどう頑張っているかを、
なるべく伝えなければいけないのだが、
Xに比べたら私は頑張っていないので、
どうしたらいいか悩むところである。

 

 

 

(後日思ったのだが、
ようするに、私が何をどう頑張っていて、
それをアピールしたところで、
Xの努力基準が高すぎて、
この自分程度では努力とは認められないと考えてきたのだ。

 

 

実際に、過去そういう事が多々あった。
私は実はまぁまぁ頑張って生きているのに、ずいぶん余裕があるんだねという、
皮肉めいた物言いを言われたことも複数回ある。
かつてのXには、自分と同じレベル以外は努力と認めない、
ものさし問題があった。

 

 

 

しかし、今はもう、違うのかも知れない。
Xに認められようと、Xに匹敵する努力を目指すのではない。
自分なりでいいのだ。
自分がなにかに注力していることと、
それを自分のハッピーに結びつけて行っていること、
それだけ伝えればいいのかも知れない。

 

 

 

今のXは、他者が自分ほどは努力できないという、
現実を理解し始めているような気がするから)

 

 

 

それはさておき、
もっと重要な話し合いもあった。
我々の関係性についてだ。

 

 

 

私の骨折以後、
Xはこの家のすべての人(私の両親と私)から自立したいと考えていた。
そのために自分の依存心にけりを付けたいと考えてもいた。
なぜなら、全ては思考が現実を引き起こしていて、
自らの依存心によってこの状況が作られたと考えているからだ。

 

 

 


そして私もである。
Xへの執着が、此度の骨折を引き起こしたことを理解していて、
Xとの関係性にいままでよりは距離感をもたらす必要性を感じていた。
かといって、孤独を感じさせると、
Xの女性原理エネルギーは暴走することがわかっている。

 

 

 

こうして共依存的テーマに取り組んできたお互いが、
ひとつの答えを持ち寄ろうとしていたのが、
この日だったのかも知れない。

 

 

 

この日は春分の日の前日。
占星術的に言えば、おひつじ座が始まる「宇宙元旦」の前日で、
「宇宙大晦日」とでも言えるような日だ。

 

 

 

新しい区切りの年に、古い自分を持ち込みたくない。
そんな気持ちが共通していたように思う。

 

 

 

私は、Xとの関係性について、
この日までの数週間、それを表現する「言葉」を探していた。
それで思いついたのが「友人」だった。

 

 

 

Xとは今後、友人の関係になる。
そう思ったとき、かなり楽になった。
これまでパートナーシップをXが求めていることはわかっていた。
なんとかそれに応えようとXの考えるパートナー像に近づこうと努力してきた。

 

 

 

でも、それは土台無理な話だ。
なぜなら、私はYではないのだ。

 

 

 

友人であるなら、
慌てなくて済む。

 

 

 

パートナーに、Xは内心、取り乱してほしかったらしい。
Xの家族は、X以外の病気の家族の面倒を見ることが多かった。
Xは自分のことを後回しにされる経験が辛かったはずだ。

 

 

 

家族に発作が起こると、母はXのことではなく、
その家族の様子に取り乱していた。
それが羨ましかったのだと思う。

 

 

 

私はXの望んだ通りに、
倒れたXに大慌てして、空回り、取り乱し、
かえってXを傷つけた。

 

 

 

でも、それすらも、Xののぞみだったのかも知れない。
これも一種の愛情表現されたいという女性原理の暴走だったのだろう。

 

 

 

そして、今はそれすらも終わったのだ。
私とXの関係は、友人になりつつある。

 

 

 

お互いに依存していた流れは、ついに終わる。
倒れて無理矢理に引っ越してきたこの家での生活も、
8月でまる5年になる。

 

 

 

怒涛の5年間だった。
こうして対話してお互いの改善点に気づくのも
いったい何度目であろうか。

 

 

 

 

5年分の疲労が溜まっている気がした。