03.Yとのシンクロニシティ

まずは、XとYの共通点を振り返ることにした。

 

とはいったものの、ここは少し慎重に記さねばならない。

 

なぜならば、Yの知名度は高く、
こんなところで書かれた私の独り言一つが
それなりの迷惑に発展することも考慮しなければならない。

 

伏せ字なども用いれば、書ける範囲は広がるかもしれないが、
そうなると知りたいという気持ちを煽ってしまうことにはならないか。
ひいてはそれがYの特定を生み出すこともあり得る。

 

いや、考えすぎだ。
仮に誰かがYの正体について、たどり着いたところで、
そこでなにかが起こるというのは考えにくい。

 

あくまでシンクロニシティなだけで、
それだけでXとYがツインレイであることが、
間違いなく確定するなんてことはないのだ。

 

シンクロニシティはあくまで状況証拠の一つに過ぎない。
疑わしい要素が一つずつ増えていくだけで、漸近線である。
決して、確定が出ることはない。

 

 

そう考えた上で、
XとYの共通点から入ってみる。

 

 

・誕生日が同じ

 

生まれ年度も含め、二人は全く同じ誕生日である。
ただの偶然に過ぎないが。

 

・誕生時間も近いといえる範囲の生まれ時間

 

Yの誕生時間についてはおおよその噂が流れている。
Xの誕生時間は母子手帳に記された時間がはっきりしている。
そのふたつはとある時間帯で一致している。
Yについては、あくまで「時間帯の噂」程度であり、
正確な時間がわからない以上、逆に言えば、
正確にXと一致する可能性もある。
仮に一致してもただの偶然に過ぎないことを忘れてはいけない。

 

・Xの母の名前と、Yの名前が似ている

 

Xの母の名前は、ひらがなで書くのだが、Yの名前の漢字も、
おなじひらがなで読もうと思えば読めてしまう。
実際には読みがなは違うし、
ただの偶然にすぎないことを忘れてはいけない。

 

・兄弟構成が一緒

 

XもYも●人兄弟の●番目で、本人以外の兄弟の性別もすべて一緒。
Yにはもしかしたら公開されていない兄弟がいるかも知れないことを考えると、
これもただの偶然に過ぎないことを忘れてはいけない。

 

・落ちた大学と入った大学が入れ子

 

XはA大学に落ち、B大学に合格した。
一方、YはB大学に落ち、A大学に合格した。
留年数も一緒。
ただの偶然に過ぎないが。

 

 

・手相がそっくり

 

Yが手のひらを広げていて、手相が確認できる画像が複数、ネット上にあった。
Xの手相と比べてみた。正直、ゾッとするほど似ていた。
数万人に一人と言われる珍しい手相が、双方にあった。
私は手相占いも趣味で、
何気なく他者の手相を盗み見する悪趣味な特技があるのだが、
この珍しい手相を、いまだにXとY以外の他者の手のひらで見たことがない。
もちろん、私が盗み見した人数など、1000人にも満たない。たかが知れてる。
ただの偶然に過ぎないことを忘れてはいけない。

 

 

すべて偶然に過ぎないものの、
これだけ重なれば、Xが運命の相手という勘違いを起こしたのだとしても、
誰もそれを責められないのではないとは思う。



しかも話はこれだけではない。

02.ツインレイ概念との出会い

私自身、
ツインレイなる概念を見かけるようになったとき、
痛烈に以下のように思っていた。

 

「うわ、またニューエイジ文脈のスピリチュアルカルトが、新たな飯の種を見つけ出しやがりましたよ!!かーっ、ぺっ!」

 

と、批判の対象にしていた。

 

ニューエイジ文脈のスピリチュアルカルト」なるワードが、
理解できない方も多くいると思う。

 

が、簡単に言えば、
ようはその直前までフィーチャーされていた、
「子宮系カルト」と同一視していたのだ。
(私は、詐欺が大嫌いだ)

 

 

 

(そして、実際、子宮系と入れ替わるようにしてツインレイカルトはごく少数現れたと見ている)

 

 

だから「どうも自分自身ツインレイ女性っぽいんだが」と、
大のカルト嫌いのXが言い出した(というより心配しだした)とき、
珍しいこともあるものだと思ったものだった。

 

そんなXから話を聞くうちに、
Xがツインレイ女性かどうかはさておき、
もしかしたら、私自身がちゃんと知りもしないうちに
ツインレイをカルトの飯の種と決めつけていたのではないかと思った。

 

 

現状把握が不足したまま、何かを判断することは危険なことだと、
品質管理の仕事で学んだのではなかったか。
Xがツインレイ女性かどうかを判断するのはそれからでも遅くはない。

 

そう思い、「少し調べてみるか」と、
重い腰を上げたときも、
まだ風説に過ぎないと疑っていたのだ。

 

 


そしてツインレイについて文献を残したという
リサ・スミスの原典の日本語訳を読んでも、まだ疑っていた。
なにしろ、原典自体はかなり古いものであるにも関わらず、
子宮系と入れ替わるようにして出てきたものだから、
ニューエイジムーブメントにかぶれた残念な人達が、
利用できるものは何でも利用しようと目論んだ、
のではないかと考えられたためだ。
なので疑いを抱きながらも知識としてストックするぐらいのつもりで目を通した。
しかしながら、そこに出てきたツインフレームという言葉だけは、
妙に私の心に残ったのを記憶している。

 

この時点で2019年だったと思う。

 

そしてその年の夏。

 

Xはパニック障害を起こし、
以後今に至るまで、
ほとんど家から出られない日々を送っている。

 

 

2019年、2020年あたりがXにとって最も厳しく、
今にも呼吸が止まるかもしれないという恐怖に取り憑かれ、
立ち止まったら今にも死ぬと感じていたと語っている。

 

居ても立っても居られない恐怖で、
夜通し、部屋の中と外をフラフラになりながら行ったり来たり。
歩き疲れて心身ともにボロボロになって、
倒れるように眠るまで、歩き続けたことも一夜二夜ではなかった。

 

Xの母が、その様子を見にきたときの、
ただただ歩き続ける娘を見たショックの表情を、
私は今も忘れられない。
もちろん、私自身もショックだった。

 

それでもこの苦難の日々を切り抜けられたのは、

(それにしたって、その苦難は今も完全に終わったわけではない)


X本人いわく、ひとえに希望にしがみついていたからだという。

 

 

 

その希望というのが、
(誰かに)選ばれなければいけない」
という相手もわからないファンタジーめいたものだった。

 

 

いったいXは誰に選ばれなければならなかったのか?

 


X本人ですら、誰に選ばれようというのか、
わかっていなかったようだった。
が、今ならばわかる。

 

これがおそらく
ツインレイ男性と思しき人物(Y)だったのだろう。

 

 

ここで断っておかねばならない。
確かに私とXは籍を入れ、お互いを大切に思っている特別な関係だが、
Xにとって私以上の存在がいようといっかな気にならない。マジで。

 

 

 

籍を入れていることにも違和感を覚えるほどなのだが、
この感覚を他者に伝えたところで、理解しがたいことはわかっている。
実際にツインフレーム的役割を経験したものにしか理解できないだろう。

 

強いて言えば、腐れ縁の恋愛経験をした人は、
少し近い感覚をお持ちかもしれない。

 

愛憎入り交じる感覚と似ている部分もあるものの、
ようは「単一の恋心」や「執着心」みたいなものではない。
離れたいと思うことも少ないが、一緒に添い遂げたいともならない。
あくまで魂の成長という目的のために、相容れない部分も残したまま、
同じお遍路を巡っている、という感じが近いだろうか。

 

 

希望の件に話を戻すと、
一般的にツインレイ女性は死の匂いがする体験を重ねているものらしい。
しかしながら、それを耐え忍び生きられるのは、
彼女たちにとって「無意識の出会いの予感」が
大きな支えになるからではと、私は考えている。

 

 

ヴィクトール・フランクルの夜と霧とは違うかもしれないが、
論理的でなかったにしても、なにかひとつ本気で縋れるものがあれば、
その地獄の終わりまで生きながらえる人がいるということか。

 

いや、むしろ、論理的でなく、根拠がない希望だからこそ、
否定しようがなく、希望を抱き続けられるのかもしれない。
無意識とはそれほど強いのだろう。

 

 

逆に言えば、
希望を失えば、死んでいたのかもしれないと思うと、
ツインレイ女性として生きることを選んだ魂であるXについて、
言葉通りの命知らずと思えてしまい、ぞっとする。

 

 

会わなきゃいけない誰かがいる気がする。

 

 

そんな証拠もないような直感的思い1つで、
あの困難を耐え抜いてしまえるのだから、まったく恐ろしい人だと思う。


いっぽうでX自身は、そんな死の匂いのことよりも、
自らが、ツインレイ女性っぽいと考えたとき、
まっさきに思ったことがあったという。

 

「自分自身がつらかった人生を肯定したくて、ツインレイを人生を肯定するための材料にしたいだけで、ただの思いこみで、本当は違ったとき、どうしよう」

 

ツインレイ女性であるという現実に縋りたくても
そんなものに縋ってはいけないという、ジレンマを抱えていた。

 

これは、カルトにひどい目に合わされてきたXが抱える
カルトに当てはまりそうな要素すべてを否定する性質によると
私は考えている。

 

そんなXに追い打ちをかけるように、
次々と「いい加減、信じろよ」と言わんばかりのシンクロニシティが連続して現れた。

 

・相手と思われる(Y)との共通点の数々。

・Yとあまりにも似通った、かつての恋人(W)の偽ツイン的行動。

・そしてツインレイ女性を助けるために現れるというツインフレーム的振る舞いの私(Z)。

 

ツインレイかもしれないことを忘れようとするXに、
まるで運命の女神がそれを忘れてはいけないと
奇跡の連続によってしめし続けるかのようであった。

01.はじめに

この手記は、
私(Z)の独り言形式で進んでいく。


目的は『引き継ぎ』である。


何を引き継ぐかというと、
私が2007年から行ってきたとあるツインレイと思しき女性(X)のサポートである。

 

ちなみに彼女は私のツインレイではない。
もちろん私もツインレイ男性ではない。

 

 

私はXの性バランスが改善するように、
私自身も学習しながら、サポートしてきた。


それは本当に奇想天外だったし、
言葉で表せないほどの痛みと癒やしの繰り返し。
ふたりして、人の一生とはこれほどの苦しみなのかと、
煉獄という言葉の意味を知る思いだったというのも
決して大げさではない気がする。

 


それがいよいよ最終段階にあると、
いまの私は考えている。

 

16年の長きに渡る『魂の特訓』も終わり、
今のような、私が経済的にXを支える生活も終わるだろう。
今年にもX自ら経済的に自立する。
それが本人の希望でもある。

 

 

そして、Xが経済的に自立したその後には、
ツインレイ男性(仮にYとする)もXの前に現れ、
ふたりで自由と責任という言葉の意味を学び、
はれてツインレイの本当の意味を体現していくだろう。

 

Xのことは、Yに引き継いでもらい、
私は、Xのサポートをしたことで新しい自分となった意識として、
自己実現を目指していくことになる。

 

Xを手放していくのは寂しいとか、
そんな感情もなくはないが、
それよりもここまで責任を果たした安堵のような気持ちが強い。

 

 

ここまでは、この手記とは関係なく行われる第一の引き継ぎの話。

 


ここからは、第二の引き継ぎ、もうひとつの引き継ぎの話。
こっちがこの手記のメインだ。

 


かくして私自身もツインフレームのような役割を終え、
いわゆる
「還俗」(げんぞく、僧侶が寺院を出て俗世間に戻ること)
する流れに入っていると感じる。

 

(ツインフレームについても、別記事で解説しておきたいと思っている。待っていてほしい)

 

 

しかしながら、還俗する前に、

 

これから
「似たようなツインフレームの役割をする後続の方」や、


性バランスを学ぼうとする「統合前のツインレイ女性」

 

あるいは
「男性原理の空回りに悩むツインレイ男性」
向けて、

 

書き残せるものを残しておきたいと思う。
これがもうひとつの引き継ぎである。

 

 

なぜそんな引き継ぎを行いたいのか?

 

自分に問いただしてみたが、
この件に関しても、自分には責任があると考えていて、
それを果たしたいという欲求があることがわかった。

 

私は移り気なので、
そんな欲求が長く続くかわからない。
なので、なるべくなら、1年で書き上げたいが、
どうなることやら。

 

なにしろ、ここまでXと過ごした時間の中で、
幾度も幾度も、『予想外の展開』に見舞われてきた。

 

予定や予想が通じない領域。
それが人生の意味なのかもしれないとすら、最近は考えている。
1年という区切りすら、破綻する不安を覚えるのだ。

 

このように、このブログは、
私の独り言形式として書かれていくが、
都市伝説、フォークロアに出てくるような
フィクションの死者の手記のような感覚で、


あるいはゲームのバイオハザードシリーズ
探索中に出会う不気味なテキストヒントのような感覚で、
眉に唾をつけて読んで欲しい。

 

 

何しろツインレイの概念自体が、
「言い伝え」であり、
明確な定義のない、
フィクションとの狭間にあるノンフィクションめいたもの
でしかないからだ。

 

 

ただの奇怪な読み物として、
あるいはツインレイ伝説に巻き込まれてしまったのではないかと訝るすべての方への、生き抜くヒントとして、
役立てたり、楽しんでいただけたら、
私も仕合わせである。

 

 

Z